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2013年7月19日金曜日

未来の教育のモデルをつくる!〜その3〜


~プロジェクト型学習の可能性~

苫野 杉山さんはこうした「学び合い」を軸としたmanabiai schoolを続けてこられたわけですが、今回開校されたtablerは、それに加えて「プロジェクト型学習」も軸にされてますね。

杉山 はい。tablerでは、学びをもっと自然な形のものにしたいと思っています。大人の社会では、同学年、つまり近い年齢の人たちだけで構成される集合体って普通あんまりないですよね。なのに子どもだけ、同じ学年で集められ、同じように学ばされる。それってなんか不自然だな、と。

 自分の仕事に誇りを持って、いきいきと働いている人たちって、だいたいどんな職業であっても、多様な人たちと繋がりを持ちながらその中で日々学びながら働いていると思うんですが、子どもだって、そういった大人たちと同じような学び方でいいんじゃないか、と考えています。

 tablerでのプロジェクト型学習というのは、色んな学年の子どもたちが、大学生もいっしょになって、一定期間、3ヶ月とか場合によっては1年かけて、1つのことを探究していくというものです。国語、算数、理科、社会……といった教科でなく、たとえば宇宙だったら宇宙について徹底的に探究していきます。

 自分の頭でとことん考えること。また、考えるためにはそのための材料が必要ですから、しっかりと調査(リサーチ)すること。そして同時に、このプロセスを、一人ではなく、いろんな人と一緒にしていく。こういった経験によって、自分はどういうものの見方をして、どういった考え方をするのか、また他人とはどう違うのか、について知ることになり、同時に、どうすれば自分は自分と異なる考え方をする他者と協力・協働できるか、について体感的に分かっていきます。

 また、「クラス」ではなく「プロジェクト」単位でチームを構成しますので、「流動性が高い」。色んな年齢の子どもたちがいますし、また出入りも一定自由なものになります。そして「多様性」。プロジェクトによっては教室の外に出て行くこともありますが、そこでいろんな人たちと学び合う。

苫野 まさに「交響体」のイメージに近いですね。

杉山 小さな「交響体」をたくさんつくっていくという感じです。そうすると、彼らは、自分が他の人たちに「貢献する・できる」ということも実感しながら学んでいく。「何かを自分の力で変えていける」といったような実感も育めると思っています。

 今、社会なんて変えられない、と思っている若い人も多いと思いますが、社会は変えられる、とまではいわなくとも、自分で「小さな社会」をつくることはできる。会社に適応できなかったとしても、自分で別のコミュニティをつくることはできるかもしれない。そんな風に、自分にとって居心地がよく、かつ貢献できるコミュニティを、つくったり選択したりできる力は、これから一人ひとりの子どもたちにとってとても大切になってくるんじゃないかなと考えています。

苫野 公教育が始まったばかりの時は、とにかくすべての子どもたちに効率よくバーンと一斉に学力なんかをつけなきゃいけなかった。そのためには、ある意味大量生産方式は効率がよかったんですね。

 でも、もうずっといわれていることですが、ポスト工業時代を迎え、むしろそうした教育のあり方は、かえって効率の悪いものになった。プロジェクト型の祖というべきデューイの頃のアメリカがその先端をいき、そして今では、先進国はどこでもそうです。だから、プロジェクト型の学びというのが、学びのある意味中心的な姿になっていくのは、自然だし必要なことなんですね。

 でもそれが中々主流になり得ないのは、教育というのがとても頑健なシステムだからです。もっとも、それはそれとしてとても重要なことです。日本全国どこでも一定同じ質の教育が担保されているというのは、ほんとにすごいことなんです。でもその分、何かを変えようと思ったら、制度が頑健な分すごく難しい。

 そういう頑健な制度がどういう時に変わるかというと、制度の外にすごいものができた時です。そうすると、制度それ自体も自己変革せざるを得なくなる。このことは、以前柏市議会議員の山下洋輔さんと対談した時にも話題になりました。

杉山 黒船の到来ですね(笑)

苫野 まさにですね(笑)。とはいえ僕は、日本の学校教育は世界的にいってもとてもすぐれた質を保ち続けてきたと考えています。これも、前回の杉並区教育委員会の山口裕也さんとの対談で話し合ったことなんですが、山口さんも僕も、いわゆる制度上の「大改革」みたいなのは必要ないと考えています。それは混乱の方が大きいし、そもそも今の制度の範囲で、たとえばプロジェクト型とか、やろうと思えば十分やっていけるんですね。



 でも、やっぱり今の学校では、いろんな制約があってやりたくてもできないところもある。その意味で、杉山さんたちの試みが一つのモデルになって、「ああ、こういうやり方っていいな」というのが広まっていくと、これからの学校教育にもいい影響が出てくるんじゃないかと期待しています。

 あと黒船といえば、オンラインの学びのあり方がものすごく充実してきたのも、教育の内側からの変革を要請する大きな要因ですね。

杉山 そうですね。去年久々に「来た!」と思ったのは、カーンアカデミーでした。日本でも、日本版カーンアカデミーのようなeboardというのを友人が作っていますが、伸びていってほしいなと思っています。

 オンラインの学びって、向いている子にはほんとに向いてるんですよね。たとえば不登校を選択する子どもたちって、結構自分の世界をもっていることが多くて、オンライン学習が向いていることが多い。学習のあり方が多様化するという意味でも、オンライン学習の発展はとてもいいことだと思っています。ちなみに今、tablerとは別に、Change Academyという、不登校の子どもを対象としたオンラインスクールを始めています。Skypeなどを利用して、学び合いも一定可能なものにしたいと考えています。

 あと、オンラインの場合、学びの過程のデータがとれるというのもすぐれたところですね。教師がデータマイニングして把握し、じゃあ次はこういうプロセスを、というのを考えたり示したりすることもより可能になる。そういった学びが充実すれば、オンラインで基礎的な学習を個別で行い、その後に発展的で協同的な学習をみんなで集まってやる、といった「反転授業」も可能になってきます。アメリカの一部の地域では進んでいるようです。

苫野 学びの個別化は、これからも発展するでしょうね。でもそれは「学び合い」と矛盾することじゃなくて、学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」を、どうバランスよく組み合わせていくかという課題なんですね。それは、人によっても時期によっても、違ってくるだろうと思います。ただこの趨勢は、きっと不可逆だろうと思います。