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2013年7月19日金曜日

未来の教育のモデルをつくる!〜その4〜


~これからの「教育」の話をしよう~

苫野 せっかくですので、今日お越しいただいた皆さんからのご質問やご意見などもうかがいましょうか。

――先ほどの「学び合い」について質問なのですが、「自由」がキーワードになっていましたが、たとえばデューイは、「自由」になるための「力」には2つあるといってるんですね。1つは目的を設定する力、もう1つは、その目的に向かってあらゆる手段を構成していく力。その観点からいうと、「学び合い」には、1つめの目的を設定する力、その自由って、どういう形で取り入れられてるんでしょう?

杉山 なるほど。そこは実は僕が「学び合い」について学んでいく中で、最後まで腑に落ちなかったところではあります。

 提唱者の西川純教授は、目標の設定は教師の仕事だと。そしてそれは学習指導要領に則るわけですが、そこに少し疑問をもちました。僕もデューイの言う「目的を設定する力」を育成するために、目標や目的を、もっと子どもたち自身でつくるところがあってもいいんじゃないかと思っています。

 それでいうと、このtablerでは、最初の段階ではこちらである程度子どもたちに目標を提案したりはしますが、成長に応じて、徐々に子どもたち自ら目標設定をしてもらうようにしています。もちろん、最初から出来る子は最初からやってもらいます。

苫野 「プロジェクト型」「協同型」は、もともと兄弟みたいなものなんですよね。

――プロジェクト型の場合、評価がかなり難しいと思うんですがどうでしょう?ある意味自己満足で終わる場合もあると思うんですが?

苫野 評価については色んな研究があるんですが、まず僕の考えの基本をいうと、教育の場合、評価はできるだけ長い目を忘れない方がいい、と。もちろん短期的評価も必要な時と場合はありますが、いついつまでにこれを理解してなきゃいけないとか、あんまり細かいことを短いスパンで目くじら立てすぎる必要はないと思うんですね。人によって成長の速度も過程もさまざまですから、そこをガチガチに考えないほうがいい。

 ただし、たとえば義務教育終了段階までには、必ずここまでは達成させるという社会の責任はある。だからそこはぶれないようにしなきゃいけない。で、そこにいたる過程の評価は、たとえば今は「パフォーマンス評価」という評価方法も注目されていますが、いわゆるペーパー試験の正誤だけじゃなく、子どもたちのさまざまな力を多角的に把握する方法が色々開発されています。そこは、今後技術的・工学的に、それなりに充実させられるんじゃないかと思っています。

 あと忘れてはならないのは、特に義務教育の場合だと、評価は基本的に、子どもたちを選抜・序列化するためではなく、子どもたちの実情を把握し、よりよい学びを保障するためにあるということですね。

 ちょっと余談ですが、昔からずっと思ってたんですが、人を評価して序列化するなんて、ほんとにおこがましすぎじゃないですか。能力なんて、まず正確に測定できるようなものじゃないし、評価軸がちょっと変わるだけで結果が全然変わってくるようなものです。なのに、これまでは多くの場合、子どもたちの能力を1つの軸上で測って高い低いなんていってきた。これだけ求められる力が多様化している現代社会では、評価もまた多角的である必要があると思います。

杉山 僕は、個別の評価って、そこまで絶対的なものではないんじゃないかと思っています。たとえばA君は、3人グループではあまり活躍できないけど、10人グループくらいになると俄然何かの力を発揮できる、なんてこともあると思うんですよね。個人の力は、環境によって変わってくるわけです。つまり文脈依存的。その観点を忘れないほうがいいと思っています。

苫野 なるほど~すごく重要なご指摘ですね。だからこそ、プロジェクト型・協同型は、やっぱり可能性がすごくある。自分はプレゼンは苦手だけど、調べるのなら得意、なんていうことが、協同作業の中で分かってくる。そうやって、特性を活かした心地よい人間関係の作り方なんかを身体化していける可能性が高まると思います。

――私は塾で働いているんですが、今日のお話とても納得したんですが、現実はとても難しいなとも感じました。お話はとてもワクワクしますが、本当に変わるんでしょうか?

苫野 先ほども申し上げたように、頑健な教育のシステムは、そもそも簡単に変わらないんですね。そして、それが重要なことでもあるんです。質をしっかり担保するために。でも、やはり先ほど申し上げたように、イノベーションが外から起こると、ある部分は変わらざるを得なくなる。そしてそのイノベーションが、今じわじわと起こってきている。僕は、2030年後の学校は、今のようなあり方とはかなり根本的に違うスタイルになっているんじゃないかと思っています。

杉山 僕はそれを少しでも促進できれば、と思ってやっています。今、団塊の世代の大量退職の時代で、新しい世代の先生が増えていますが、それはある意味では一つのチャンスかもしれないとも思っています。だから、いいものをつくって、それを勝手にマネしてもらうというようなスタンスでいられたらいいなと。あそこにも「プロジェクト型」の塾ができたらしいぞ、とか、学び合いが青森で盛んらしいぞ、とか。

苫野 今日お話してきた内容って、原型はもう100年以上も前に出尽くしていたんです。今では多くの人が、頭では当たり前だと思う時期に来てるんじゃないかなと思います。その意味でも、そろそろ変わる時期なんじゃないかなと思っています。

――現実問題でいうと、親世代の理解がまだあまりないんじゃないかと思います。やっぱり、少しでも勉強して、公務員になったり大企業に入ってほしいと、小学校低学年で塾に行かせる親が周りには多いです。あと、プロジェクト型をやっている学校でさえも、生徒からすると「やらされてる」感があったりするし、それができる先生が少なかったりもする。

苫野 だから2030年後なんですよね(笑)

 ただ、企業が求める人材も、受け身型学力よりプロジェクトを自分でこなしていく力を持った人、というように、変わっていくし変わってきつつあるんじゃないかなとも思います。企業といってもそれぞれですが、ともあれそれは、ある意味では教育が変わる一つの契機になっていくんじゃないかなと。

杉山 今は、学校では総合学習の時間があり、そこで熱心な先生はプロジェクト型の授業をされている方もいらっしゃいますが、結局は先生一人ひとりの力量に頼るところが多くなってしまっていると聞きます。ただだからこそ、順序としては、そうした先生たちが少しずつ増え、連携がなされ、やがて大きなシステムに影響を及ぼす。そういう感じかなと思っています。

 僕は教育大学出身なんですが、そこで痛感したのは、教員になりたい学生の多くは、今の学校に適応してきた人なんですね。また、今、教員の約4割が、「親も教員、子も教員」といったいわゆる世襲らしいのですが、そうすると、教員の多様性があまり確保されないということが構造上の問題としてある。世襲それ自体は悪いことではないと思いますが、似た境遇の人が多い空間だとなかなか変化って起きにくいのではないでしょうか。

 こういった問題意識から、以前、教員志望の学生や教育に関心のある若い人たちを集めて、「教育フェスタ」というイベントを定期的に開催していました。そうしたイベントを通して、多様な人たちに触れてもらいたいと。

 これは極論になりますが、教育大学とか、教育学部さえ、そんなに必要ないかもしれないと思ってます(笑)。文学部教育学科とか、理学部教育学科とかでいいんじゃないかと。最近は社会人経験をもった人が教員になれる仕組みも増えてきていますが、もっともっと多様な人が教員になれる仕組みがあるといいなぁと。

苫野 杉山さんがかつていわれていてなるほどなぁと思ったのは、一人の先生に頼りすぎるのではないモデル、というものです。世間も生徒たちも、一人の先生に多くを期待しすぎる傾向がありますよね。人格者で、話が落語家みたいにうまくて、明るくて活発、みたいな。よく学園もののドラマであるような。でもそれは現実的じゃない。もっとチームワークを活かせる現場づくりを、と。

杉山 そうですね。それでいうと、今のシステムは、たとえば1学年に120人子どもがいたら、彼らを40人ずつのクラスに分け、そこにそれぞれ担任と副担任を1人ずつ置く、というものですが、そうじゃなくて、120人の子どもたちを6人の先生で見ちゃう、といった感じもいいんじゃないかと思っています。イメージはモンテッソーリ教育の幼稚園が近いですね。1人の大人が空間を支配・掌握するのではなく、複数の子どもたちを複数の大人がみる。

 1人の先生が40人の生徒を見るのって、やっぱり大変です。合う合わないもある。そこをチームでカバーし合う。教科を教えるのが得意な先生もいれば、子どもの気持ちに寄り添うのが得意な先生もいる。やる気に火をつけるのがうまい先生もいれば、採点が得意な先生もいる。先生たちももっと個性を活かして分業していけばいいんだと思います。

苫野 採点が得意って面白いですね(笑)。丸付けめっちゃ速い、みたいな。

――オンライン学習には私も期待してるんですが、受け身なだけじゃなく、自分たちで発信していくことも大切じゃないかなと思うのですが?

杉山 本当にそうですね。先ほど申し上げたChange Academyという新しい事業では、たとえば国語の授業で、読んだ本をただ要約するんじゃなくて、Amazonのレビューで書く、というようなことをやっています。社会に発信、アクションしていくということに、子どもたちはワクワクしますよね。

苫野 残念ながら時間が来てしまいましたが、今日はとても面白いお話ができて本当によかったです。ありがとうございました。ご参加いただいた皆さんも、ありがとうございました。

杉山 ありがとうございました。